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    だから伊藤潤二作品はコンテンツIPではなく感情IPとして語られるべきなのだ

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    2021年に韓国を中心に「富江メイク」が流行し、2023年にはNetflixにて短編アニメ『マニアック』の配信が始まるなど、ワールドワイドな文脈で語られることの多いホラー漫画家 伊藤潤二氏の世界。

    個展を開けば多くの方が詰めかける状況であるのはいうまでもないですが、くわえて2024年はサンリオとタッグを組んで“コワカワイイ”プロダクトを多数生み出したことも話題になりました。(大反響を受けて2025年12月現在は第2弾ポップアップストアを全国3か所で展開中)

    さらに2025年はユニクロやpays des fées(ペイデフェ)、MIKIO SAKABE(ミキオサカベ)、株式会社ヨウジヤマモトのS’YTE(サイト)などファッションブランドとの企画も続けざまに発表。もはや「伊藤潤二」というネームそのものがブランド化していることは、疑う余地もありません。

    しかし、いくら伊藤さんがホラー漫画界の重鎮といっても、本来見る者を選びかねないホラーコンテンツがここまで一般層に開かれ、“おしゃれ”、“かわいい”といった再解釈が進むことに違和感を生じないことが違和感ではないでしょうか。

    目次
    1. 伊藤潤二の世界的評価とファッション界における唯一無二の存在感
    2. 伊藤潤二作品はなぜ“恐怖”だけで終わらないのか
    3. 伊藤潤二作品は“トーン”で支持されているからサンリオとも矛盾なく共存できる
    4. “怖い”という感情が記憶に残るフックになる
    5. ニッチなIPも翻訳次第で拡張できる

    伊藤潤二の世界的評価とファッション界における唯一無二の存在感

    1986年のデビュー以降、伊藤潤二さんの作品は世界的にも熱狂的なファンを増やしつづけています。そのうえで近年はファッション界における注目度も急上昇。ホラー漫画の枠組みにはおさまりきらない、その存在感について触れておきましょう。

    世界的ブランドとしての伊藤潤二

    まずは伊藤潤二さんの作品について語るうえで欠かせない、海外における評価を紹介していきたいと思います。

    というのも、昨年から全国6か所で開催中(2025年12月25日(木)まで、残すは名古屋会場のみ)の大規模個展「誘惑」が大盛況であるように、日本国内における活躍もさることながら、伊藤さんの作品は特に海外で高く支持されているのです。

    伊藤潤二展 誘惑
    (出典:伊藤潤二展 誘惑 JUNJI ITO EXHIBITION ENCHANTMENT)

    実際、個展にも多くの外国人の姿があり、世界中に熱心なファンを抱えていることがわかります。東京会場の世田谷文学館においては、過去最多の同館展覧会入場者数となる77,000人超えを記録しました。

    参照:世田谷区「令和6年度公益財団法人せたがや文化財団の経営状況に関する書類の提出」

    遡ると2015年には台湾で展覧会「伊藤潤二恐怖美学体験大展」が開催され、2019年には「漫画のアカデミー賞」ともいわれる米国のアイズナー賞を『フランケンシュタイン』において初受賞

    同賞については、その後2021年に『地獄星レミナ』と『伊藤潤二短編集 BEST OF BEST』において同時受賞、2022年にも『死びとの恋わずらい』において、合わせて4度受賞し、今年2025年7月には殿堂入りを果たしました。

    参照:朝日新聞「ホラーマンガ家の伊藤潤二さんが米国のアイズナー賞で殿堂入り」

    くわえて2021年、『センサー』がアメリカの伝統的な図書館員向け業界誌『Library Journal』の「ベストブックス」に選出。このとき漫画作品が選ばれた日本人著者は、伊藤さんと同時受賞した浦沢直樹さんが初めてでした。

    そして2023年には「漫画界のカンヌ」とも呼ばれる仏アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を、同年サンディエゴ・コミコン・インターナショナルでインクポット賞を受賞

    このように、その圧倒的な画力によって描かれる緻密な筆致と唯一無二の世界観は海を渡って広く支持されており、現在の数々の企業・ブランドとのコラボや展覧会、ポップアップストアが注目を浴びている理由のひとつに逆輸入的な要素も挙げられるでしょう。

    ファッションのなかの伊藤潤二

    コラボレーションについて挙げると、2025年はとにかくファッションブランドからのラブコールが鳴りやみませんでした。

    たとえば、厚底のアウトソールが特徴的なスニーカー「JEWELRY」シリーズで広く知られるブランドMIKIO SAKABE(ミキオサカベ)ヨウジヤマモト社のクリエイティブチームがデザインするS’YTE(サイト)、そしていわずと知れた日本のアパレル産業を牽引しつづけるユニクロなど。

    参照1:伊藤潤二 × MIKIOSAKABE
    参照2:S’YTE×Junji ITO -UZUMAKI- Collaboration Collection
    参照3:UTコレクション「マンガキュレーションUT」

    2025−26AWのRakuten Fashion Week Tokyoにおける、コレクションブランドのpays des fées(ペイデフェ)によるファッションショーも記憶に新しいです。

    参照:pays des fées「2025-26 Autumn/Winter×Junji Ito」

    モデルがみな伊藤潤二さんのデビュー作にして代表作のひとつ『富江』の同名キャラクターに扮し、作中で永遠に増殖しつづけるように、続々と登場してさまざまなルックを披露するという演出は、「小石川病院」と名づけられたスタジオの院内を模した様相も相まって、センセーショナルなインパクトを残しました。

    くわえて先述のとおり2021年ごろには、韓国を中心に「富江メイク」と呼ばれる、白く透明感のある肌、やや跳ね上げた黒のアイラインなどを特徴としたメイキャップも流行。

    今もハロウィンシーズンになると、黒のロングヘアのウィッグとともに見かける人気のスタイルで、中国のコスメブランド小奥汀(リトルオンディーヌ)から『富江』とのコラボ商品も販売されました。

    もはや「ホラー漫画=ニッチなジャンル」とはいえないほど、伊藤潤二さんの描く世界は開かれたコンテンツとして進化しているのです。

    伊藤潤二作品はなぜ“恐怖”だけで終わらないのか

    では、なぜ伊藤さんの作品はホラー漫画の中心にありながら、それだけでは終わらない魅力を放っているのでしょうか。

    美と不快、グロテスクとユーモアという相反する世界観

    伊藤さんは多くのインタビューのなかで最大の恐怖は死である、といった考えを示しており、実際に作中、凄惨な最期を遂げるキャラクターはたくさんいます。

    ただ、作風としてはスプラッターといった肉体的に直接死に近づく描写よりも、変形していく造形や不快感を引き出す違和感のほうが印象に残る方も多いのではないでしょうか。

    ひとつ例を挙げるなら、タイトルそのものが「検索してはいけないワード」としても知られている『グリセリド』でしょう。

    主人公の兄 五郎には幼いころからサラダ油を飲むという悪癖があり、そのため顔にはおびただしい数のニキビが広がり、これらをわざと押しつぶして主人公めがけて脂を射出させるシーンが、トラウマを植えつけるといわれているのです。

    特に伊藤さんの筆致はテクスチャーのリアリティに長けており、腫れて膨れあがり、脂で濡れた皮膚の質感や他の作品に登場するなめくじのぬるぬると蠢く様子など、否が応でも実物を目視してしまったときのような、あるいはそれ以上の気味悪さを宿しています。

    一方で、多くの方がメイクによって似せてみたくなる富江や人気作『うずまき』に登場する五島桐絵、黒谷あざみといった容姿端麗なキャラクターも登場します。美という人々にとって心地の良い入り口を作りながら、不穏と不快も隣り合わせに存在させる、それが特徴かもしれません。

    またグロテスクのなかにユーモアが同居している点も印象的です。考えてみれば人の心に恐怖を芽生えさせる瞬間と笑いを生み出す瞬間のメソッドはよく似ていて、どちらもここぞというタイミングで予期せぬ事象に発展した際に生じます。

    先の展開も読めないほど一筋縄ではいかないからこそ、読後に恐怖だけではなく芸術性を感じさせ、多くの人の心を掴みつづけるのではないでしょうか。

    作中に登場するモチーフが独立したIPとして成立

    首吊り気球(アニメ)
    (出典:伊藤潤二『マニアック』 #03 首吊り気球)

    繰り返し触れているとおり、富江というキャラクターについては別領域のブランドとコラボすることも多く、そのビジュアルを真似た富江メイクが話題になるなど、IPとしての存在感はもはや作品から独立しているといっても過言ではないでしょう。

    それから、同じく多様なブランドとコラボしている作品『うずまき』を想起させるような渦状のモチーフや、一目見ただけでそれとわかる「首吊り気球」も独立IPとして成立しているといえそうです。

    首吊り気球は、アニメ化もされた同名の作品に登場する怪奇現象で、人気アイドルの輝美が自殺したことをきっかけに、街に人々と同じ顔をした巨大な気球が浮かび、襲いかかってくるというもの。

    2021年に東京都とアーツカウンシル東京(公益財団法人 東京都歴史文化財団)が東京2020オリンピックに合わせて、渋谷区上空に放った現代アートユニット「目[mé]」によるプロジェクト「まさゆめ」が似ていると大きな話題を呼んだため、そのときに知った方も少なくないかもしれません。

    まさゆめ
    (こちらがその「まさゆめ」。出典:まさゆめ公式サイト)

    まさゆめは、国籍や性別、年齢を問わず募集して選ばれた実在する一人の顔をモデルに、ビル6〜7階分にも相当するといわれるほど巨大なオブジェクトに仕上げ、東京の風景に浮かべるプロジェクト。

    着想源はアーティストの荒神明香(こうじんはるか)さんが中学生のころに見た夢ということなので、両者に関係はないのですが、ほとんど予告なく作品が披露されたため、あまりの衝撃に自分の記憶の引き出しから近いものが呼び起こされたという方が多かったのかもしれません。

    なお当時、強いインパクトを残し、センセーションを巻き起こしたことで、この機会に作品を知ってほしいと朝日新聞出版の電子コミック試し読みサイト「ソノラマ+plus」の編集部が伊藤さんに相談し、3日間限定で作品を無料公開されることになりました。

    参照1:まさゆめ公式サイト
    参照2:くらテクby ITmedia「怪奇漫画「首吊り気球」無料公開 都内に現れた“巨大な顔”が「似ている」と話題に」

    少し話がそれましたが、富江、うずまき状のモチーフ、首吊り気球などは物語の文脈を離れても成立する認知度を誇り、企業やブランドとコラボするたびにさまざまな角度で切り取られ、記号化しているといえます。

    それは本来恐怖を感じるはずの対象が、ひとつのアイコンとして視覚的に翻訳された状況といえるかもしれません。いずれも一度見たら忘れられないほどの“強い”ビジュアルだからこそ生じた事象といえそうです。

    これにより、人々を恐れさせるだけでなく、これまでホラー作品に触れてこなかった新規層にとっては、その入り口としての役割を同時に担っているといえるのではないでしょうか。

    事実、伊藤潤二さんのファンにはホラー作品が得意ではないという方も少なくありません。彼の作品の魅力は、恐ろしいとも、美しいとも、気味が悪いとも受け取れる、細部まで徹底して描き込まれた画風。

    それは世界的にしばしば芸術品として取り上げられており、時に物語を知らない者さえその独創性の渦に誘います。

    一部のシーンや一部のモチーフだけを切り取っても、伊藤潤二さんによる表現だと伝わりやすく、それが展覧会やポップアップストアにおける没入体験に通じるのでしょう。

    物語が理解を目的に生まれたものであるならば、展覧会や関連ショップは没入を促しているといえるかもしれません。ただし、作品を読んだことがない者も入りこめる装置として機能している一方で、ホラーこそ体験型のコンテンツだともいえます。

    頭では理解できない不条理な展開に、体感として刺激が得られるホラーは、それだけで没入しやすく、作品未読のまま展覧会を楽しんでいた方も知らず識らず、そのストーリーを受け入れる基盤を整えているといえるかもしれません。

    伊藤潤二作品は“トーン”で支持されているからサンリオとも矛盾なく共存できる

    伊藤潤二×サンリオキャラクターズ 第2弾
    (出典:伊藤潤二×サンリオキャラクターズ 第2弾POP UP STORE 特設ページ)

    伊藤潤二さんの作品とコラボしている数多くのブランドのなかでも、特に際立っているのはサンリオではないでしょうか。

    いってしまえば、サンリオ=かわいい、伊藤潤二さんの作品=怖い、というあまりにも簡単な方程式は、きっと多くの方の共通認識だといえ、一見その2つの相性はあまり良くなさそうです。

    ですが、双方とも確立した造形と一貫した世界観を持ち、それゆえにデフォルメに耐えうるという特徴を持っています。互いに融合しえない個性を放っているからこそ、どちらにも異分子を受け入れる余白があるということです。

    サンリオに関しては代表的なキャラクター、ハローキティ(キティ・ホワイト)が「仕事を選ばない」といわれるように、これまでにも親和性の低そうなキャラクターやコンテンツと数多くコラボし、成功させてきたという実績もあります。

    なお、サンリオの商品開発における理念については、以下の記事でくわしく解説しています。

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    そのうえで、伊藤潤二さんの作品は先に触れたように「ホラー漫画だから」支持されている、というよりも、ホラー漫画界のなかでも目を引くユニークな部分こそが支持されるゆえんです。

    キーワードとして挙げるなら、美、歪み、執着、不安、など。ジャンルとして支持されているというよりも、トーンが支持されているといえるかもしれません。

    伊藤さんは愛猫2匹との暮らしを描いた『伊藤潤二の猫日記 よん&むー』(講談社)も発表しており、「ホラー漫画家J」という名前ではありますが、ご自身の実話を描いています。

    参照:講談社「伊藤潤二の猫日記 よん&むー」

    今作品はタッチこそ普段の伊藤さんのようなホラー的要素を見受けられるのですが、当然ながらクリーチャーも出てこないし、登場人物が偏執的にうずまきなどに傾倒することもありません。

    もとは犬派であった「ホラー漫画家J」が婚約者(絵本作家の石黒亜矢子さんのことで、現在は結婚されています)の希望で猫を飼うことになったものの、なかなか懐いてくれないという、猫好きならきっと共感してしまうギャグエッセイ漫画です。

    独自のトーンを保ったままジャンルの垣根を悠々と越えており、こういった点から、他カテゴリへのシフトを可能にする底力が伝わるのではないでしょうか。

    “怖い”という感情が記憶に残るフックになる

    実は、ホラーコンテンツがジャンルを跨いで人気を博している例はほかにもあります。ジャパニーズホラー漫画家だと、伊藤さんも愛読者だと公言している楳図かずおさんも思い浮かびます。

    楳図さんの場合は本人のユニークなキャラクター性や、シグネチャーモチーフともいえる赤と白のボーダーなど、アイキャッチになるものも多く、それも相まって先述のS’YTEやatmos pink、X-girl、Candy Stripperなどさまざまなブランドとコラボレーションを実施

    X-girlにいたってはご本人もアイテムを着用してプロモーションビジュアルに参加するなど、いろんな世界に身を置くことを全身で楽しんでいた様子が見受けられます。

    なお、このときコラボしていたのはホラー要素を控えたSF長編の『わたしは真悟』ですが、X-girlとは複数回に渡ってコラボしており、その際に『おろち』などのホラー作品も選ばれています。

    海外に目を向けると映画『チャイルド・プレイ』シリーズ(1988年〜)も挙げられるでしょう。ホラー映画ながら、登場する殺人人形チャッキーをモチーフにしたアパレルや雑貨は多数生み出されており、特に相性のいいストリートカルチャーを取り上げるなら、怖さのなかに反抗性が見出され、それがクールだと見なされていると説明できるかもしれません。

    映画ならデヴィッド・リンチ作品も、さまざまな二次創作を産出しています。直接的に恐怖を伝えるというよりは、不安感、不可解さ、理不尽さ、といったトーンで支持されている作風で、理解の難しさが価値となり、アートやファッション、音楽の文脈でセンスの象徴として広まっている印象です。

    伊藤さんの作品もふくめ、これらに共通していえるのは角が取れていないということ。どうしても大衆化したブランドは角がなくなり、マイルドになることで、より一般層へ広まっていくケースが多いですが、いずれも個性を尖らせたまま接点だけをあらゆる層へ増やしています

    ニッチなIPも翻訳次第で拡張できる

    ホラーコンテンツは門前でユーザーをセグメントする傾向にあり、そのためニッチなジャンルだと思われることもありますが、そうとも限りません。というよりも、ニッチなIPがニッチでありつづけるとは限らない、といったほうが正しいかもしれません。

    ある人からすれば排除すべき存在である恐怖心も、それが芯となり、記憶に残りつづけることで、他ジャンルと組み合わせた際に互いに共存し、より強固なブランド化するといえます。

    伊藤潤二さんの作品はまさしく世界観を壊さず、これまで接触機会のなかった人々との接点を増やしたことで、現代カルチャーとしてより深部に届いていきそうです。これを“おもしろがる”人々がいる限り、より一層強く根を張って縦横に広がっていくのではないでしょうか。

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